Discussion
審査講評(4)

金賞作品の講評

心映,Dialogue
帯付小判重 溜
Obitsuki Kobanju Tame
H22×W34×D22
2011
帯付小判重 溜,Obitsuki Kobanju Tame
心映 Dialogue
H67×W37×D27
2012

大西 ─────ありがとうございます。デザイン部門金賞の作品についてもコメントを頂けますか。

山村 ─────先ほど説明があったように、今回からアートとして漆を見るアート部門と、デザインを重点的に評価するデザイン部門に分けて審査が行われました。
 デザイン部門金賞の「帯付小判重 溜」は、曲げ木の加工によって作られた平型の三段重です。お重は、お正月やおめでたい日などハレの場によく使われるもので、日常的にはあまり使われないものですが、この作品は普段使いもできるように小判型の長方形にしてあって、現代のテーブルウエアとして使えるよう、見事に工夫されていると思います。
 この三段重は、一段でも、二段でも使えますし、ペア用や家族用、あるいはパーティ用など多目的に使えます。また、楕円形ですので、使い方もいろいろ工夫できるのではないかと思います。具体的には、これでうな重を出されると、きっと素晴らしいもてなしができると思います。盛り付けも、横方向いっぱいに使えば美しい盛り付けが演出できますし、お菓子やクッキーを入れてもおしゃれでしょう。しかも、上面のふたは美しい小判型で、全体的にとても優しく柔らかく、丁寧に磨き上げられて角張ったところがありません。
 この作品には、漆がこれからのライフスタイルの中でどんどん使われて、使われるたびにさらに愛着を増し、長い間、家族や子どもたちに受け継がれていく道具になってほしいという思いが込められています。このようなものはなかなかなくて、今までお重は緊張感が漂う中で食事をする際の演出を担ってきましたが、それをもう少し楽しく、家庭でも、普段でも使えるようにしようという試みが見られます。模様もなくシンプルに塗り上げられ、ふたを開けた時の内の朱と外の溜が非常に美しくマッチしており、素晴らしい出来だと思いました。

大西 ─────私からは、アート部門金賞の作品についてお話しします。
 一口にアートといっても、今はいろいろなものが全てアートになってしまっている感があるので、私は芸術的領域を考え直すことも重要ではないかと思っています。漆の持つ素材の奥深さの中に秘められ、人間の心に深く染み込んでいくものが、やはり非常に大切だと思います。今ほど遊びという話がありました。心に響く遊びも大切ですが、人間にとってはいかに生きて人生をまっとうするかがやはり大事で、そこに行き着く時が必ず来ます。
 この「心映」という作品は、「心を映す」がテーマです。造形は海坊主のようで、摩訶不思議なものを提示すると同時に、茫漠としたナスのようなものの中に何があるのだろうかと思わせ、その存在を印象付けるという精神的な働きを作者は意図しています。また、漆という素材の持つ力を生かしていることは確かですが、現代のアニメーションやさまざまなキャラクターに共通した、流行的なものを感じる面もあります。非常に印象深い作品で、技術的にも非常によくできており、最もエネルギーが注がれる「面」に関しては、完璧に立体曲面を作り上げています。
 これが果たしてどのような意味を持ち、オリジナリティがあるかということが問われるわけですけれども、まず、オブジェですので鑑賞の対象ですが、鑑賞することも一つの人間の働きですから、心を深く満たすという用を果たしています。大賞の「犀の賽銭箱」のように遊びを含めてはいませんが、その存在の中にいろいろなイメージを込めています。そして、下の方にある触手には不思議なものを作ろうという意図があり、バランスと立体感の調和が取れていることが評価されました。さらに、漆は素材そのものが非常に神秘的な深さを持ち、光を包含し、反射する性質を持っていますので、オブジェの中でも特に摩訶不思議なものに結び付きやすい性格があるという面で、今後、この存在が現代人の病んだ心を何らかの形で癒すという働きを持っていると思います。
 ただし、造形のバランスはいいのですが、安易さや甘さが少し感じられます。曲面は技術的によくできていますが、立体そのものの追求という点では漠たるところがあるのです。今後、アート方向ではこのような作品が増えると思いますが、それも終わりつつあると思います。アニメやコンピュータを通した映像の世界では、このようなものが自由に表現できるので、すぐに飽きられてしまうことを少し恐れています。やはりアニメをも乗り越えて存在する力を造形的に研究し、一歩深めて、それを形で表現することが重要です。
 私の持論ですが、塗立(ぬりたて)仕上げの漆が最も美しいと考えています。一方、漆を磨いて面を作る呂色(ろいろ)仕上げというテクニックは、簡単なようで結構難しいのです。これだけ広い表面を整えるには、相当神経を使わなければいけません。
 物には存在する時間があり、空間の中で刻々と変化します。変化は非常に大きな力を持っていますが、それとどのように関わっていくかが重要です。人間もかわいい子どもから大人へと変化していくように、漆も変化するから面白いのではないでしょうか。
 根来塗(ねごろぬり)は、100年、200年、300年を経て、予期しない変化を示します。根来塗は世界の人が認めるだけあって、意図した部分と意図していない部分があり、そこが他にはない良さだと思います。作者が存命のうちに、その本当の存在力は出ないかもしれません。現代の人は、すぐに成果が出ないと物が存在する意味を持たないと思うかもしれませんが、根来塗をご覧になると、それが持つ存在感がお分かりになるかと思います。漆の美しさは、何百年とたっても作者とはほぼ関係なく存在しています。空間は時間の中で絶えず変化を続けるという点で、漆は面白い可能性を秘めていると思っています。それは紛れもなく世界の人々が漆に対して期待しているものだと思いますが、そういうものを作品の中に取り入れ、感じさせることで、素晴らしい世界が広がっていくのではないでしょうか。現実的には考えにくいことかもしれませんが、非常に重要なことだと思います。

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